和風住宅の歴史
近年、数奇屋造りを意識した和風住宅を建てる人が増えていますが、日本の家が家らしい姿をとらえられるのは奈良・平安時代の貴族住宅の形式である「寝殿造り」が始まりとされています。その後、端正な様式性の高い書院造りに茶室など作意を取り入れた数奇屋風へと変わり、現代の和風建築へと発展しているのです。
ここでは和風建築の歴史である「寝殿造り」から絢襴豪華な「書院造り」清閑かつ質素で素朴な草庵風の建物の「数奇屋造り」について見てみましょう。
寝殿造り
平安時代の貴族の家である「寝殿造り」は、寝殿(正殿)と呼ばれる中心的な建物が南の庭に面して建てられ、東西に対屋と呼ばれる付属的な建物を配しています。丸柱に板張りの高床・こけら葺きの屋根・板戸の突き上げしとみ・座には置き畳・間仕切りはなく屏風や几帳・床の間も押入れもない造りをしています。
この寝殿造りの後、鎌倉・室町時代になると障子やふすま・床の間の原型である押板・違い棚・書を見る出窓風の造り机が作られ書院造りへと発展していきました。
書院造り
書院造りが一般に広まったのは室町時代中期足利義正の東山時代の頃だと言われています。ただし書院造りと呼ばれるようになったのは安土桃山時代になってからのことで、この頃の書院造りは権力を目に見える形を表現した建築だったといえます。
例えば主人の地位や迎える客・部屋などの格式に応じて座敷の仕様にも決まりがあり、天井や畳・長押し・座る場所にまで身分の違いを表していました。
和風の建具である障子やふすまを引き戸の形式で使ったのもこの頃からです。また日本画の原点をなす水墨画や茶道の習慣も中国から渡来した時期でもあります。
現代の書院造り
安土桃山時代は金銀まばゆい絢爛豪華な書院造りが主流になります。ここにおいて漆塗りの格天井に極色彩の絵を描き、ふすまには金箔を使って障壁画を描くという華麗な書院造りが完成します。
この流れは江戸時代の武家屋敷にも取り入れられますが、明暦の大火を境に天井絵や襖絵は少なくなり、簡素な書院造りが主流になります。その一方では数奇屋造りの原点をなす草庵風茶室が格式高い書院とは対照的なものとして創始されました。
現代の和風建築の書院造りは、なるべく派手さを避けて厳粛でありながら素材感を活かしてシンプルに仕上げながらも、調和の美を大切に見せどころは床の間に飾る四季折々の草花と掛軸だけで演出するのがポイントです。
数奇屋造り
数奇屋造りとは、洗練された清閑かつ質素で素朴な草庵風の建物のことです。数奇屋造りは建築的な面で見ると書院造りと基本的要素はさほど変わりませんが、格や身分を表現する要素を取り除き、定まった様式がなく作意を尊ぶ日本建築に自然を取り入れた個性的表現が登場しました。
また民家の座敷にも蒲・ヨシ・竹・杉皮などの天井や化粧屋根裏天井の数奇屋造りが取り入れられました。農家の土壁はそのまま数奇屋の壁材となり、竹小舞や削り板小舞の下地をデザイン化した下地窓など、庶民の家をモデルに硬軟自在の変化に富んだ手法へと発達しました。
現代の数奇屋造り
茶の湯の草庵風茶室が原点である数奇屋造りを現代の和風建築でも再現するなら、茶の精神を大切にして自由なデザインや自然素材を使いながらも数奇屋のもてなしや気遣いには何気ない所作にこめて表現することが大切です。
つまり草案が基本である以上、自然との接点を考えて庭の樹木や草花・築山・池・借景としている周囲の風景も重要になります。窓や開口部からの景色だけでなく、そこから入る柔光や屋根・軒によってできる陰影も数奇屋造りの風情の一つです。現代の和風建築で数奇屋造りを表す際には、自然素材を使って周囲の自然や景観に合わせることで質素・閑寂・清閑さを表現することが大切です。